田中 みぎわ vol.1 “原点”

2020.6.12

田中 みぎわ vol.1 “原点”

*こちらは2020年6月に掲載した記事です

“私は自然の一部でありたい”
現代水墨画の担い手、田中みぎわのアトリエへ-。

「何故、墨で描く」のか、「絵を描く動機」とは?をお伺いしてまいりました。

山懐に抱かれる
墨、胡粉/雲肌麻紙 45.5cm×53cm

 

田中みぎわのアトリエは、神奈川県南足柄市の
清々しい風が通り抜ける小高い丘の中腹にあり、
心地よい自然に包まれる空間。

アトリエ

墨で描く理由

-雲は私の心-
学校では日本画を専攻していたので、色を使って自然の風景を描いていました。
あるとき夕暮れの東の空にぽっかりと浮かぶ、赤く染まった雲を描いたとき…
“この雲は心だ!”と強く感じる時がありました。“これは私の心だ”と…。
それから、いろいろな土地の空の下、
雲を追うようにスケッチするようになりました。

photo by Tanaka Migiwa

-石垣島の空、雲、海、雨-
学生時代に、石垣島にキャンプで二ヶ月ほど滞在したことが
移住のきっかけになりました。空と雲をスケッチするために、
学校を卒業と同時に荷物を全部まとめて車に詰め、
そのまま船に乗り、島へと移り住みました。
街中で見る空とはまったく違い、広く流動的で、
ダイナミックに様々な表情を見せてくれる、
色鮮やかな島の空にすっかり魅せられてしまったのです。
島に住み、その日々の生活の中から溢れるものを絵にしたい、
そういう想いがありました。
滞在中は毎日スケッチをしていました。朝夕に空を、海を、眺め、
それを水際でスケッチをすることにより、
心を静めて自然に溶け込むという時間…
これがどれだけ大切なものだったかということに気づいたのも、
このときの経験からでした。一年半という間でしたが、
様々な気づきを得ることができた時間だったと思います。

-墨だけで描きたい-
石垣島の空をスケッチして絵を描いているうちに、
自然に“墨と水だけで描きたい”という気持ちに変わっていきました。
日々のスケッチは木炭で描きます。またたく間に変わっていく流動的な空を、
手早くとらえることができるからです。
そのスケッチを参考にしながら、アトリエでは大きな画面に墨を流し、
その上から色をのせていたのですが…。
あるとき“墨と水のまま、それだけでいい”と、思いました。
もう色を使わなくてもいい、そう思ったのです。
広く流動的な雲と空、どこまでも続く鏡のような海。
実際に自分が感じた光景を表現するのに墨と水だけの表現が
ぴったりと合っていると感じたのです。
墨を紙の繊維にゆっくりと時間をかけて滲ませたり、
水でおおらかに流したり、といった表現が、
私に“見えている世界”に近いと感じました。
モノクロームの木炭のスケッチや墨の表現は、
空気の濃さや水の匂い、風の温度…
そういうものを色を使う時よりもずっと感じることができると、
そう感じたのです。

-別のものに描かされている-
“墨だけで描く”ということは自然な移行であり、
特別な決意なんて何もありませんでした。ですからその頃は、
「墨は老成してから描くものだ」というような人からの批評に、
個人としてはどうしていいかわからず、傷つくこともありました。
でも、描いているのは個人としての「私」ではありません。
何か違うものに突き動かされている、
「私」とは別のものに描かされているのです。
“なぜあのときあんなことができたのだろう?”
そういうことは誰にでもあると思います。
個人ではないもの、それは何か…それを言葉で表現することはできません。
ですので、私自身は様々な現象が現れる「空」(くう)でしょうか。
導管のようなもの…空っぽの空間に過ぎない、と常々感じています。

photo by Tanaka Migiwa

-石垣島での体験-
島という場所は、“個人としての自分に向き合う”ということが
浮き彫りになる場所でした。いままで向き合ったことのない
自分のすべてをさらけ出し、それに対峙しました。
だから、その時、その場所でしか感じることができないものも
あったかと思います。そこで感じたものをすべて出していかないと
次につながらない。それはいつもそうです。
その時表現出来るものを出し切るからこそ、次が用意されていきます。
ですからそのときにその場所に行ったということが、
私にとっての通過儀礼というのか、必要なことだったのかもしれないですね。

絵を描く動機

-熊本の風景-
私が生まれた生家のある東京は、空はいつも建物から切り取った一部分。
全てが見渡せて自然に抱かれている、という場所を不思議と生まれた頃から
夢見ていました。
母のふるさとが熊本にあり、幼少のころから春休みや夏休みには
田舎に帰る機会に恵まれました。
そのときの、原始的ともいえる自然の光景から強烈に感じたものが、
今こうして絵を描くきっかけになっていると思います。

photo by Tanaka Migiwa

-熊本がくれたもの-
豊かな自然のなかで過ごした日々が、
私の人生のはじまりになっているのではないかと感じています。
それは、お弁当をもっては裏山へ登り、夏は川で泳ぐ日々。
暑い日の昼下がり、空は山の向こうからやってきた
黒い雲にまたたくまにおおわれて・・
激しい雨と雷がやってくるのです。

どこまでも広がる田園に、
ただならぬ顔をした空が
一面鏡のように映し出されます。
天にはじけるような音が鳴り響き。
落雷にずしんと地面がうなります。
熊本の天気はとても激しく、
まるで空の上に怒りっぽい神様がいるように感じました。
都会育ちの幼い私は、そんな毎日の不思議な現象に心ふるえました。
目に見えないものがこの世界を司っているということを
全身で感じとった最初の時であり、恐怖に震え、
荒れ狂う嵐の美しさに心から尊敬の気持ちを抱いたのです。

photo by Tanaka Migiwa

-『熊本』は言葉にするなら“大気”-
今でも春、秋、そして年をまたぐ季節には熊本の家に帰っています。
菊池の盆地はとても広く、遠くなだらかな阿蘇 鞍岳、
猛々しい八方ケ岳を望みます。
お日様が昇るところから沈むところまでをずっと、
広く田園地帯の中、見渡すことができるのです。
そして豊かな水を湛えた菊池川とその支流が、
まるで人の血脈のように盆地を何本も流れているのです。
大地が胸を大きく広げて、濃い大気を抱いている、それが菊池野です。
ところで、その大気が関東に帰ってくると薄いのです。
熊本から自宅に戻るとしばらく私は、“大気ロス”の状態になります。

3つの質問

Q.昨年2019年に、8年ぶりに沖縄に取材に行かれたそうですが、
改めてお感じになられたことなど伺わせてください。
A.遠い昔、このような熱帯の地に住んでいたのではないかと思うような…
自分本来の姿に近くなるような、不思議な落ち着きと懐かしさを感じます。
風景や人の出会いに関するシンクロニシティも多々起きやすくなる土地です。
今回の旅で一番印象的なことなのですが、“今が永遠であること”という
扉が開きかけた…そういう閃きがありました。

Q.先生のアトリエは、武蔵野~茅ヶ崎~足柄と、
いつも風が通り抜ける空間ですね。
制作の拠点を決める際に大切にされていることを教えてください。
A.私はいままで新築の家に住んだことがないのです。
熊本の故祖父母の家については、たぶんもう二百年くらいになると思います。
いま住んでいる住居兼アトリエは五十年くらいになりますが、
人が暮らす営みの中で、
お家の雰囲気がまろやかになっているように感じます。
熊本のお庭はまるで鬱蒼とした森…
足柄のお庭も日に日に緑が濃くなっていく。
お庭の木は先輩、母であり父でありお友達。
だから木を切ることはとても出来ません。
木は、自然に両手を広げた、そのままの姿が一番美しいのです。
夏には輝かしい光と影を落とし、冬にはその枝ぶりで、
古今東西の物語を語ってくれています。
落ちた葉は腐葉土になり、新たな春を迎える準備になる…
全て理に適っています。
コゲラやひよどり、鶯など…たくさん遊びに来てくれるマザーツリー、
どんなに小さくともお庭は愛の空間です。
それと、周辺に湧き水が多いことも南足柄に住んだ理由の一つです。
一番近くでは洒水の滝があり、真夏でもひんやりした風と、
清冽な水を運んでくれています。
また、御嶽神社(三竹)の湧き水や、箒杉の湧き水(西丹沢)と
あちこちにたくさん水脈が。
これらの美味しいお水は、日々の食事にももちろん、
絵の制作にもありがたく使わせて頂いています。

Q.好きな作家は?
A.美術全般は苦手です。
人の自我(エゴ)に、自分のエゴが反応してしまうので…
いわゆる「作品」をみることはあまりしません。
でも、まるで生まれたての赤ちゃんのような、
欲のないものをみたときには純粋に心が動きます。
今思いつくのは、高島野十郎の晩年の蝋燭の絵です。
人生でお世話になった方々へ差し上げた絵だそうですね。
蝋燭からゆっくりと広がっていく様々な色を含んだ光がなんともやさしく、
まるで月の光みたいに感じます。
無私の心、自分というものが空っぽになった絵…そんなふうに思えました。
作家で一番好きなのはやっぱり宮沢賢治です。
物語を創るとき「まわりの自然から話をもらってくる」と言っていますね、
そこに共感を覚えます。限りない透明感があると感じます。

 田中みぎわ 作品 01〜06

6_展示の様子_額イメージ
1_作品
2_作品_額入りイメージ
3_画面3分割_上
4_画面3分割_中
5_画面3分割_下
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8_アップ_1
9_アップ_2
10_アトリエにて
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10_アトリエにて

田中みぎわ作品01
天の帳(てんのとばり)

技法     墨、胡粉/雲肌麻紙
制作年    2007年
作品サイズ  180cm×55cm
額寸     現状額装未
備考     ともシール有
価格     ¥1.000.000(税込価格¥1.100.000)※額代込みのお値段です

【額装について】
当社推奨額装にて制作致します。
額およびマットの色は、お選びいただけます。
推奨額装以外でご希望の場合、別途お見積にて制作致します。お気軽にご相談下さい。

 

「この絵は屋久島でのスケッチをもとに描きました。
屋久島は樹齢三千年といわれる縄文杉をはじめ、
島の中での高低差が大きく、様々な気候の植物が生育することなどで有名なところですが、
私は、その島の周囲を取り巻くたくさんの港にある堤防に魅了されました。
島の周囲には珊瑚礁もありますが、すぐに外海になるようです。
そのため波が高く、たくさんの堤防が港を守っています。
海面から堤防の上まで8〜9メートルもあるような高い堤防があり、
その先端にいくとすぐ眼下に生きたうねりを見ることができました。
その先端にたち風を受けていると、
舟の先端にたち航海をしているような気分になります。
堤防は格好のスケッチ場所だったのです。
その堤防の上で何を描いていたかというと、『天の帳』のような風景でした。
海の上を大きな雲が、雨と光の足を従いながら滑っていきます。
その様子を360度体感しながら描いていきます。
やがて、その大きな雲は頭上で雨を降らせ、西に去っていきました。
その一連の様子は、まるで大きな神様の手のひらが、海をなでていくようでした。
そんな風景をもとに描きました」

階段室、玄関の正面、廊下の突き当たり・・・。暮らしのなかの、正面の壁に。

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