篠田 桃紅
Shinoda Toko
私の言葉なんて、無意味です。
百万の言葉より、一本の線が私の伝えたかったことです。
篠田桃紅
※「人生は一本の線」幻冬舎より抜粋
墨の美しさに5歳ではじめて触れてから、 30代で、既成の書のかたちにとらわれない墨による抽象画を確立。万国博覧会の日本パビリオンへの出品等で日本代表として活躍、1956年単身渡米、舞台は世界へ。 以降アメリカ・ヨーロッパで数多くの個展を開催、瞬く間に高い評価を受け、現在まで日本国内のみならず世界でも第一線をあるいてきた。
メトロポリタン美術館、オルブライト・ノックス美術館 (ニューヨーク) 、大英博物館 (ロンドン) 、ボストン美術館、
アート・インスティテュート・オブ・シカゴ、ルクセンブルグ王室、グッゲンハイム美術館、
在アメリカ合衆国日本大使館公邸(ワシントン D.C) 、東京国立近代美術館、増上寺、京都迎賓館、
汐留コンラッドホテル、等
1913年 旧満州 ( 現中国東北部 ) 生まれ
1919年 父の手ほどきで書を学ぶ
1929年 女学校の師である下野雪堂に書の個人指導を受ける
1947年 水墨による抽象表現を始める
1956年 渡米
全米各地で個展
1958年 帰国
1959年 「日本美術の伝統と革新‐白隠、志功、桃紅、南谷の4人展」 (クレラー・ミュラー美術館)
1960年 摺師アーサー・フローリー氏の勧めで、リトグラフ制作を始める
1961年 第6回サンパウロ・ビエンナーレ招待出品
1971年 ROSC'71・10人展 ミロ、ピカソ、タピエス他と共に出品
1974年 増上寺本堂ロビーに壁画、道場のために襖絵を制作
1979年 随筆集「墨いろ」で日本エッセイスト・クラブ賞受賞
1993年 御所 御食堂のために壁画制作
1996年 シンガポール国立近代美術館にて個展
2003年 原美術館にて個展
岐阜県関市 ・市役所内「篠田桃紅美術空間」開館(2024年閉館)
菊池寛実記念 智美術館のロビー、階段の壁画を制作
2005年 ニューズウィーク誌「世界が尊敬する日本人 100 」に選出
京都迎賓館の貴賓室に作品を制作
コンラッド東京のロビーに壁画「人よ」を制作
2015年 著書「一〇三歳になってわかったこと -人生は一人でも面白い-」幻冬舎より刊行
2016年 著書「人生は一本の線」幻冬舎より刊行
2017年 著書「一〇五歳、死ねないのも困るのよ」幻冬舎より刊行
2021年 逝去 享年107歳
2024年 岐阜現代美術館桃紅館 開館
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