内田 邦太郎
Uchida Kunitaro
■年譜
1942年 京都に陶芸家の長男として生まれる
1967年 東京芸術大学美術学部工芸科卒業(鋳金専攻)
大阪市立工業試験場無機化学課ガラス研究室入所(ガラス調合研究)
1968年 大阪在、三友ガラス工芸入社
職人として5年間吹きガラスの技術を学ぶ
1976年 幻の技法と言われていた、フランスのアールヌーヴォー時代に生まれた
「パート・ド・ヴェール」を戦後日本で初めて再現
池袋パルコギャラリー、吉祥寺パルコ、
南青山アメリアギャラリー等で個展を開催(以後毎年)
1978年 東京クラフトデザイン研究所にガラス科創設
1980年 アトリエ飛行船にガラス科創設
「内田クラフト」の名前でガラスプロダクト製品を発表
オンワード樫山新人ファション大賞のトロフィーを製作(以後毎年)
1987年 ニューヨーク、ヘラギャラリー「アート・グラス・オブ・ジャパン」展招待出品作品をスイス・ローザンヌ美術館買上展示
1990年 朝日現代クラフト展にガラス部門招待出品(同1992年)
「‘90ガラスの造形展」出品(彫刻の森美術館)
1992年 「幻想の色と形 内田邦太郎パート・ド・ヴェール作品集」出版
1996年 中国上海市在交通大字100周年記念式典に招かれパート・ド・ヴェール製法のスライド公演開催
1997年 ギャラリー桜の木にて初個展
1998年 「宝飾と硝子の造形展」出品(ギャラリー桜の木)以後2回
2011年 京都・横浜・勝浦など、通年を通じて、積極的な展示会出展を行っている。
現在も新たな作品創りに挑戦し続け、積極的な活動を継続している
内田邦太郎 アトリエからこんにちは vol.1 "パート·ド·ヴェール" 2020年10月
『パート・ド・ヴェール』とは・・・
フランス語で、ペースト状のガラスという意味。
フランスのアール・ヌーヴォー初期の、彫刻家アンリ・クロ(1840~1907)が着色された蝋を使ってレリーフ作品を作っていましたが、蝋のままだと脆く、欠けたり溶けたりしやすい為、様々な色ガラスを砕いて粉状にした物をのりで練って耐火性の型に詰めて焼き、溶かして固めた後に型を壊して中のガラスを取り出すことを思い付きました。
しかし、糊による不純物の影響で、焼けた後無数の泡が発生し砂糖菓子のようになり、求めていた蝋の質感が得られませんでした。アンリ・クロの弟子達の世代(アマルリック・ワルター(1869~1959)、アルジ・ルソー(1885~1953)、フランソワ・デコルシモン(1880~1971)等)に成って漸く、蝋の質感をもった作品が出来るように成りました。
第二次世界大戦を境にしてこの技法は跡絶え、戦後暫くは、ガラス工芸の中でも最も難しい幻の技法と言われて来ました。この技法は形も蝋で原型を作る為に手で納得がいくまで自由に表現が出来、色も粉末状の為に混色や濃淡が思いのままに調節出来るのが、大きな特徴と成っています。
東京国立近代美術館工芸館
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