中西 和 

2022.12.13

つくり手と鑑賞者が絵画を介して共有できる『いい気分』とは

*こちらは2015年7月の記事です


緑潤う雨ののちに、光眩しい夏が到来。ただいま銀座の壹番館の3階にて、ちょっと涼やかな夏の世界を皆様にお楽しみいただいております。
開催中の展覧会「中西和の世界」展は、おかげさまで今年20回目を数えることとなりました。
「集めたくなる」と仰るお客様が、最も多い画家でいらっしゃる(※G桜の木調べ)中西和先生に、創作のことなど、あらためて画廊にてお伺いいたしました。

“描きたいものを描きたい風に”
と描くなかで創り上げられた独自の技法「洗い出し」

中西和先生は、1947年奈良の大和高田市に生まれ、金沢美術工芸大学では油画科に学び、1972年東京に移住。1985年頃にテンペラや油彩の表現から転向、現在の『描いて、洗う』という独自の技法で描き始められました。現在鎌倉にて制作されています。

絵を描く、という始まりからお尋ねしました。

先生は小学校の頃、絵さえ描いていればいい学校=美術大学の存在を知り、画家になるというよりは、『美術大学に行く』という免罪符のような解放感に夢中になられたそうで、高校の頃、勉強が出来なくても「俺は美術大学に行くので。」と“言い訳”を周囲にされていたそうです。お父様がこの頃にご親戚に仰ったという言葉も、先生の中で重要なポイントに。「息子を美大に行かせるのが正しいか?…息子が将来、立派な画家になるとか名を成すかとか、全く問題にしていない。何世代か経た後にでも、そういう人間が、家から出てくれればいい、と思っている。」
お父様のこの言葉で、”画家として成功しなくていいんだ…”、とさらに『解放』されちゃった、と中西先生。『幼少のころからこんな感じだったから、僕は”画家になる”と強く思ったことはないんです。みなさんが、僕を絵かきにしてくれたんです。』

京都にて(山口和也 撮影)

京都にて(山口和也 撮影)

麗らかな奈良から、北陸の雲空の下へ。金沢美術工芸大学の油画に学ばれますが、西欧の油絵の傑人たちの作品を見て、“何やこれ、こんなん描けん!思考パターンも違う、こら違う!”と。
『自娯、っていう言葉があるでしょ?まず自分が楽しむ。それが制作の原点にあって欲しい。風に揺れる草のような自分にとっていちばん愛着のあるものを描こうとしたら、こうなった(現在の描法:洗い出しのこと)んだよね…。まぁここには、絵かきになるぞ!だとか、どこかに出品して認められよう!だとかは、あまり無くてね。』

『描き方を発見したきっかけねぇ。そうだなぁ。…劇的にこれだ!と思ったのは、かぁちゃん(奥様)が、どっかから電動消しゴムをもらってきた時。『回転する消しゴム』を見て、頭が“ぱこーん”ってなった(笑)!』

回転する消しゴムは、ご自分にとってぴったりとくる「白」の描き方を発見させたそう。「白い絵具」を塗って、明るさや光を表現するのではなく、紙を削り出して、空気をふくみ、軽みのある光と一体となったような「白」を表現することを思いついた先生。まず、道具屋へと駆け込みます。次に、それを可能にするための紙は…?この手法はまさに紙をいじめるような工程、和紙にドウサ引きでは難しい。洋紙、水彩紙なら。明暗を表現するグレーは?アイボリーブラックだと黴るし、うすく伸ばしても美しいグレーにならない。顔料の粒子よりもずっと小さい粒子の墨がいい。しかし、墨を塗った水彩紙の表面はどうしても和紙のように気持ちよく墨が馴染まず、美しくならない。…であれば、洗い落とそう。

『油彩よりは、らくに仕事ができました。対象がこうやってここにあるよ、とか、どんな位置関係にあるかを伝えたい訳でない。油彩で僕が描けなかったのは、空気だった。あのときは、いい気分、が出なかった。』

描いては洗い流す・・を繰り返して作品になっていく

描いては洗い流す・・を繰り返して作品になっていく

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第20回 中西和の世界「夏の季」
於 銀座ギャラリー桜の木
2015年7月12日₍日₎~7月26日₍日₎ 火祝休廊 午前11時-午後7時