--- 改築に至った理由
そもそも、事の起こりは丁度一年前にさかのぼります。楽しんで改造した築四十年の建物の、風雪に耐えた味わいを愛しく思っていた矢先のことでした。春になり久しぶりに旧店舗の鍵を開けた瞬間時の重みを体感する事態に直面。ぽかんと口が開いたままになりました。屋根が雪の重みに負け、閉ざされた冬の間に雪解け水をまねきいれてしまったのですね。各所チェックすると、あららここも?おまえもか!という有り様でした。
さぁ、そこで決断の時をむかえました。部分改修か大幅改築か。
私は新しく立て直す決断をしました。一旦お金はかかるけれど、世界で一番素敵な画廊を作れば、世界中からお客様が来てくださると思いました。
--- 京都清水で
改築計画をスタートさせたころ、京都の近藤高弘先生のお宅にお邪魔したのです。先生のお宅は清水の先、山に向かう中腹にあります。ひっそりと建つ瀟洒な木の門の奥には、笹がたなびくアプローチがあり、その先に突然開かれた丘が眼前に広がるつくりになっています。
枝垂桜と鴨が遊ぶ池を観ながら、近藤悠三先生が残されたという小間にお通し頂きました。羅漢さんの大きな拓本と、旧くて美しい石、高弘先生の現代的な作品とが時を超えて美しく調和していました。魂が洗われる様でした。お聞きすると、ご自身が旧いものを活かしながら安く設計されたとの事。「・・・こんな空気感の画廊ができたら」と感嘆の溜息と共にご相談しましたら「じゃぁ手伝おうか?」と嬉しいおことばを頂きました。
--- 三十二歳の天才建築家
その後の近藤先生のアドバイスは驚くほど的確でした。「はい、この一週間で建築家の決定な」「交渉はこうしなさい!」そんな中で、建築は中村拓志さんに。初めてご連絡したとき、「低予算でもきっと良いものが作れますよ。クリエイティブな仕事ならば協力します」とお答えが。資料を拝見すると中村さんの建築は、気仙沼の造船職人の技術を活かしたものだったり、世界でも類をみない独自性がキラリ。素敵だな、と感じていた銀座ランバンは中村さんによるものでした。そんなわけで中村さんには、クウェート王子にプレゼントされたという私の憧れの白のゴヤールの鞄と模型をもって何度も画廊にいらして頂くことになりました。
--- 軽井沢の夢
演出家の星野和彦先生は「戦後メディアの生き字引」でいらっしゃり、「森の番人」と自らおっしゃるほどに軽井沢を愛する毒舌家のとても素敵な方です。今回「軽井沢」にふさわしい画廊を作るため貴重なご意見を数々頂きました。星野先生の下で多岐にわたりお導き頂く中でこの美しく魅力的な軽井沢のために何か我々にもできることがあるんじゃないか?という気概をもつようになりました。夢はふくらみ、いつか軽井沢に世界中から人が集まるアートバーゼルのような見本市ができないだろうか? などと、とどまるところがありません。だんだんと計画中の新店舗が、はかりしれない可能性をもったものに見えてくるのです。
新しい店舗は、2007年4月に発現します。
性格の違う小間を複数有する遊び場です。外観は楚々とした清潔な印象で、縦長の敷地を真ん中から縦に貫くアーチ型の開口が、いくつも連なって見え、一番奥に枝垂桜が顔をのぞかせるつくりです。
昨年度より皆様の温かい励ましのお声を頂き、本プロジェクトは今夏オープンを目指して進行してまいりましたが確認申請に手間取り、来春に延期する事を余儀なくされました。折角ご支援を賜りましたのに思いのほか遅れてしまいましたこと心からお詫び申し上げます。 |