ジャン・マリー・ザッキ
1944年4月9日、 フランス・コルシカ島に生まれる。
4歳から画材に親しみ、6歳には将来は画家になろうと決意。 パリに移り、18歳からパリの近代芸術高等学校に学び、在学中19歳で、グランパレで行われていた由緒ある“ル・サロン”に初出品。その年、ル・サロンの審査委員会に加わることに。 当時の絵画は抽象表現であった。
24歳頃から画風に変化がおこり、“簡略化した具象表現によって本質をとらえる、自由を創造する絵画 ”への追求がはじまる。 「朝から晩まで描く事に没頭し、傍らシャネルのウィンドウディスプレイなどの装飾デザインを手がけた。」
84年 (40歳)になるころには、絵画とその人柄から、 画壇での中心的な役割を担うことが多くなる。 サロン教育功労賞を受賞、 さらに国内外の記者や評論家、 芸術家で構成される協会A.J.E.A.F.O.M.の運営委員となる。
45歳からサロンヴィオレ会長を二年間務め、47歳でフランスならではの栄誉である海軍省オフィシャルアーティストに任命される。 同年、ル・サロン会長に就任。ル・サロン最高賞受賞後、48歳で“ 殿堂入り”とも言える特別室に招聘、名誉会長となる。
52歳で現代絵画100人展ビエンナーレを創立するなど、垣根を超えたアートの交流・発掘・指導に意欲を注いだ。日本との関わりも古く、アートの指導者として乞われ来日することも多い。 |