田中 みぎわ

2020.6.15

自分の中の確固たるイメージと、墨が織りなす偶然性とを対話させていくことが、水墨を描く面白さだと感じています

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夜の丹沢湖や富士五湖で人がいなくなった橋の上に車を止めて描くのですが、夜の山は、両手を広げて迎えてくれているような心地がします。この季節ですと、かすかな口笛のような鹿の鳴き声が聴こえます。

つい最近のことですが、一晩中描いていた月が沈み、入れ替わりに太陽が昇ってきた瞬間、月と太陽の「大きな愛と慈しみ」としか言えないような何か暖かいものが堰を切ったように私の中に流れ込んできました。この何か大きくて暖かいものは、木々の木漏れ日ややさしい雨など様々に自然の中に偏在している、自然はどんな心情にも、調和を持って寄り添ってくれる、と感じました。

お話の最後に。

私は今、足柄の山裾に住んでいます。特に早春の時期には、枝々の先に芽吹きの力がたくさん溜まって、まるで光を放っているように見えます。その喜びを山全体に光のベールとして感じます。これはまるで山全体が奏でる、季節の夜明け交響曲です。木々が両手(枝々)をいっぱいに広げ、精一杯、天の愛-雨-を享受しようとしているのを見て、何て健気なんだろう、と心が強く震えました。そのとき私は感じました。木々の喜びを感じる、この「感じる心」が私たちの一番の宝なのではないかと。感性は、身体の筋肉のように、自分で育てると発達していくものだと思います。それにはまずは、自分が何を感じているかを認め、それを大切にすることが一番です。そして、出来れば、自分の感じたものを何かに表現することです。音楽、文章、絵、話すこと・・何かそれぞれ自分に適した方法で。私たちはこの「感じる心」を大いなる存在からの贈り物として、胸に抱きしめていきたいものだと感じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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