光の中からやってきた。

植物は人は地球は宇宙は時間はどこからやってきたのだろう?

過去とか未来とかいうけれど、本当にあるのだろうかと思ってしまう時がある。

「実は今しかないのじゃないか」と。

時間はないようである。

エネルギーというのも見たことはないけれどあるらしい。

エネルギーも時間もとらえどころがないが、

あるものとして生きている。

そこにものがある。

しかし、時間がたてば必ずなくなる。

あるというのはどういうことなのか?

変化し続ける者同士が関係を持つ時に互いにとってあるということなのかな。

 

今は過去になり続ける。

未来は今になり続ける。

過去も未来もたっぷりあるのか?

あるなら慌てることもないのに。

 

お花を描いていると、

蕾だったものが膨らんできて花弁が開いて、

きれいだなーと思っていると、

時間がたったら萎んできて、

枯れて、落ちてしまう。

 

いったい僕は何を描こうとしているのだろう。

ドキドキする感動だ。

 

絵を飾ろうと思った時、

お花の絵は安心して飾れるのはなぜだろう?

 

無害な感じ。

プラスアルファーで華やかな感じがする。

 

なんでなのかな?

 

見えないものほど、とらえどころのないものほど僕らには大切で大事なのではないのだろうか?

水?空気?エネルギー?時間?愛?

 

幸福感?

美しい?

美味しい?

怒りにまかせて行動する。

衝動はどこからやって来る?

 

手に触れることのできないものほど影響される。

本を読むということは、

映画を見るということは、

人に会うということは、

絵を見るということは、

自分をアップデートすることだ。

 

変なソフトを入れたら壊れちゃうし、

メモリーに対していっぱい入れすぎたら動かなくなってしまう。

絵を見るというのは、

アップデートするのと、

ごちゃごちゃした頭の中を整理し一つの方向へ促すような気がする。

いらないソフトやいらない情報をゴミ箱へポイ。

そして削除。

そうすると、メモリーに余裕ができて、

頭の中が軽くなって気持ちに余裕が出てくる。

 

この世は愛に満たされている。

愛とは気持ちいいものだ。

辛さも苦しみもみんな含んでどーと流れてゆく。

抵抗することもできる。

抵抗する時痛みや悲しみや辛さがやって来る。

無抵抗になって状況に流され同じ速度で同じ方向に向かっていればとっても楽に生きていられる。

良いことも悪いことも、ところ変われば変わってしまう。

それで矛盾だということになったり。

 

見えないものに、見えないもののために一生懸命になる。

 

誰にだって忘れてしましたいことはあるのに、

なんで、我慢してしまうのだろう。

どれほどでもないことに、

気持ちを持っていかれるのはなぜだろう?

 

学生時代部屋にスイートピーを飾った。

ひと束買ってきて、ガラスの花瓶に活けた。

活けるといっても差しただけ。

淡いピンクだったと思う。

寝室のスピーカーの上。

優しい色、柔らかな花びら、

そしてさわやかで少し甘い匂い。

そこが好きだ。

だんだんスイートピーの甘い香りが薄くなり、

色も抜けてきた。

いつしかその存在を忘れていた。

ある日ふと気付くと、

さやえんどうのようなものが花のあったところに付いていた。

驚いた。

生きていた。

初めて釣りをして釣った魚を触った時のような、

神聖なものに触れたような気がした。

まるで無防備、

むき出しの命そのものをいきなり預けられたような、

持て余してしまいそうだ。

 

自分が命を所有した。

感動。

戸惑い。

 

ストライプで光が感じられた。

真っ白は光に一番近いのだろうか。

いろんな色がとなり合わせて、

ある時は重なり、ある時は滲み合って、

光を生み出していく。

太陽の光。

内なる光を表したら、

こんな感じ。

上からでなく。

奥からこちらに向かって無限にいつでも優しく豊かにやってくるもの、

光。

愛の目に見える状態が光。

光のバリエーション。

光に最も近い存在は花、

光が形をもった状態が花だ。

花も自分も物質同士。

 

心が通じる?

話しかけてみる。

「愛しているよ」

花はじわっと答えてくれる。

自分が花なのか、

花が自分なのか。

境界線がなくなる。

いろんなものに「愛しているよ」と声をかける。

境界線がなくなり、自分が広がっていくような気がしてくる。

 

光の中からやってきた。

お互いに再会して懐かしくなって嬉しくなって、

一緒になる。